2015年6月2日火曜日

6月、7月のスケジュール

2015年6月

  3日(水)西麻布 新世界:Bloco Pikaia
(渡辺隆雄tp 佐野聡tb 後藤篤tb 臼井康浩g 早川岳晴b 本田珠也ds 岡部洋一per)

~おざフェス2015~  2013年11月18日に旅立った小澤敏也さんの熱き血潮に思いを馳せつつ、猛者たちが熱いグルーヴを繰り広げます!!ハーフタイムショーでは小澤さんが遺してくれたpandeiro batucadaチーム『JINGLE GYM』が躍動します。




本田珠也の「DJといっても、俺はただ聴きたい曲をながすだけだけどね(笑)」Vol.5
今回はのテーマは「ドラム〜アフリカから現在」。アフリカを起点とした原始的なものからテクノまで網羅してお送り致します。


  5日(金)国立ノートランクス:竹内直(sax)石田幹雄(p)本田珠也(ds)

  6日(土)西荻窪アケタの店:【ハチヤ 666 生誕曼陀羅卍 2015】      
      蜂谷真紀バースデイライブ 蜂谷真紀(vo,p)坂田明(as,cl,voice)本田珠也(ds)

  8日(月)桜木町ドルフィー:鈴木勲(b)坂田明(as,cl,voice)丈青(p)本田珠也(ds)
12日(金)町田二カス:峰厚介(ts)清水絵理子(p)須川崇志(b)本田珠也(ds)
13日(土)下北沢Bar Apollo:竹内直(sax)本田珠也(ds) DUO!

14日(日)
(昼)新宿ピットイン:織原良次miD(織原良次fretless b市原元彦g滝野聡g本田珠也ds)
   (夜)学芸大学MAPLEHOUSE:峰厚介(ts)清水絵理子(p)須川崇志(b)本田珠也(ds)

17日(水)高田馬場GATEONE:荒武裕一朗(p)小泉”P”克人(eb)本田珠也(ds)


大口純一郎トリオ東海ツアー:大口純一郎p米木康志b本田珠也ds
19日(金)名古屋ラヴリー
20日(土)吉良インテルサット
21日(日)富士ケルン
23日(火)関内カモメ:ZEK3(清水くるみp米木康志eb本田珠也ds)

24日(水)阿佐ヶ谷イエローヴィジョン
                 【少人数ナル問答!】蜂谷真紀(vo) 松島啓之(tp)本田珠也(ds)

25日(木)高田馬場サニーサイド:守谷美由貴(as)菊地太光(p)高橋陸(b)本田珠也(ds)
26日(金)水戸 自由ヶ丘スタジオ:大口純一郎(p)米木康志(b)本田珠也(ds)
27日(土)渋谷WASTED TIME:冬太Yellow Black Music
                 冬太(vo,g)高瀬順(p,Key)津上研太(as)和泉聡志(g)江口弘史(eb)本田珠也(ds)
                       *NY録音CD「YELLOW BLACK MUSIC」発売記念LIVE Vol.2


本田珠也(ds)×竹村一哲(ds) 頂上決戦ドラムスデュオ!

29日(月)関内ストーミーマンデイ:酒井泰三(g)×本田珠也(ds) ソウルフルロッキンデュオ!
30日(火)浅草ソウルトレイン:荒武裕一朗(p)トオイ・ダイスケ(b)本田珠也(ds)





2015年7月


 1日(水)西荻窪アケタの店:大口純一郎(p)米木康志(b)本田珠也(ds)


竹内直+本田珠也DUOツアー
  3日(金)釧路ジスイズEST
  4日(土)北見ジャズフール
  5日(日)旭川ブレリアス
  6日(月)札幌レイジーバード
  7日(火)札幌レイジーバード



ZEK3ツアー
(清水くるみp、米木康志b、本田珠也ds)
  9日(木)甲府 桜座
10日(金)長野バックドロップ
11日(土)新潟ジャズフラッシュ
12日(日)国立フクスケ


札幌レイジーバード3DAYS

16日(木)札幌レイジーバード:田中朋子(p)米木康志(b)本田珠也(ds)
17日(金)札幌レイジーバード:津村和彦(g)米木康志(b)本田珠也(ds)
18日(金)札幌レイジーバード:津村和彦(g)米木康志(b)本田珠也(ds)

20日(月)桜木町ドルフィー:鈴木勲(b)元晴(sax)丈青(p)本田珠也(ds)



25日(土)南郷ジャズフェスティバル:KANKAWA(org)類家心平(tp)本田珠也(ds)




26日(日)軽井沢ジャズフェスティバル:山下洋輔(p)寺久保エレナ(as)坂井紅介(b)本田珠也(ds)



27日(月)新宿ピットイン:今村祐司perグループ 松風紘一sax 渋谷毅p 上村勝正eb 本田珠也ds


本田珠也 太鼓叩いて30周年記念 
新宿ピットイン3DAYS



◎6/7 AM11時より、新宿ピットインにて、チケット(予約可)前売開始!

29日(水)スペシャル・セッション:本田珠也(Ds)菊地成孔(Sax,Vo,CDJ)坪口昌恭(Syn,P,Efx)ナスノミツル(B)

30日(木)道場+JAZZ非常階段:本田珠也(Ds)八木美知依(エレクトリック21絃箏、17絃ベース箏)+JOJO広重 T.美川 JUNKO 坂田明

31日(金) DUO:本田珠也(Ds)日野皓正(Tp)

2014年8月25日月曜日

臼庭潤3回忌追悼ライブ

1日目無事終了

1993年頃初めて潤に誘われて潤のバンドに入った頃演奏した曲、僕が結成した自身のサックストリオ時代に演奏した曲、潤の好きだったロリンズの曲等・・・。追悼するには申し分ない選曲だと思いま
す。

潤の曲を久しぶり(もう20年ぶりくらい)に演奏したけど、懐かしかったな。本当はOUT OF THE STEPって言う曲やりたかったんだけど残念ながら譜面が見つからなかった。この曲は潤のバンドで必ず1曲目に演奏したGO GO(懐かしい)見たいな曲なんだけど、気に入ってた。

潤・・・I MISS YOU

1セット

. FOUR IN ONE (THELONIOUS MONK)
. THE SONG OF THE JET (A.C.JOBIN)
. SKIP WALK (JUN USUBA)
. MESSAGE (JUN USUBA)
. BLUES CONNOTATION (O.C.)

2セット

. PENNY SAVED (SONNY ROLLINS)
. YOU'RE MY EVERYTHING
. ELLEN DAVID (CHARLIE HADEN)
. ANTI CALYPSO (ROLAND PRINCE)

ENCORE
. SONNYMOON FOR TWO (SONNY ROLLINS)


おっと、ここでレイジーのマスター吉田さんのコメントが面白かったので、ここに抜粋します。
勝手に(笑)

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三周忌

明日は臼庭の命日だ。いまだに色々と考えてしまうがなぜと考えるのはもう辞めた。事実とは違うのかもしれないが僕なりの物語を作って臼庭の死を受け入れている。心の決めたことがある。心が弱っている人がいたら万難を排して話を聞こうと思っている。職業柄そういう機会が多い。気が済むまで話してもらうとそこにその関係性でしか立ち上がってこない物語みたいなものが見えてくる時がある。そういう時、人は安心する。
幸い臼庭の音源はlazyにかなり残っている。その中でも5周年記念のライブは聴きなおすことが多い。lazyの数あるライブの中でも最高の演奏のひとつだ。メンバーの内臼庭とセシルは鬼籍に入り津村と田中朋子は病と闘っている。元気なのは米木だけになってしまった。このメンバーでCDを作る話もしていたので残念だ。
今週末追悼ライブをやる。湿っぽくはならないと思う。なにせ本田珠也のトリオだ。天国への階段も揺るがす怒涛のバスドラで臼庭の魂を目覚めさせてほしい。先週珠也に航空券を送った。事務的なことのほかに「今からわくわくしてます」と期待感を書いた。返事が来た。事務手続き了解の主旨の他に駄洒落らしきことが書いてあった。
「わくわくわく・・ここ・・なっつー」
僕は4日間考えているが意味がわからない。
僕は珠也に冗談や駄洒落を言うことはない。もうドアを蹴破られたくないし、臼庭からも「あいつは、日本で一番洒落もわからない人間だから・・・」ときつく言われている。
珠也も人が変わったのだろうか。もし先の駄洒落らしきものの意味がわかる方がいればご連絡ください。

臼庭追悼駄洒落
すべてはここから始まった!
東大モトクロス()
京大ザンギ()

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そして臼庭潤3回忌追悼ライブ

無事終了

潤はもう既に自分のバンドを持っていたんだけど、僕はまだオヤジのところでジャズの修行というか、まだ右も左もわからずとにかくジャズを見よう見まねでやっていた。

そんなころ潤から俺バンドに参加してくれないか?と誘いがあった。

当時オヤジの修行の身であった僕を、オヤジはあまり、というか自分が教育(?)するつもりだったのか、オヤジは僕が人との共演するのを拒んでいたみたいだったようだ。

潤が恐る恐るオヤジに「珠也を自分のバンドに誘っていいか?」って伺ったらしんだけど、オヤジは一言。

「勝手にしろよ」

で、潤から誘われてたしか西荻で2人で吞んでいたんだけど、潤が「珠也、俺のバンドやってくれない?」っていうもんだから、僕は(なんて仰々しいいかたしないけど)潤と親友だと思ってたから、僕すかさず「当たり前だろ!一緒にやろうぜ!」と即答。

意気投合した2人はその足でアケタに出向き、島田さんにスケジュールを聞いてその数ヶ月後にアケタに出演したんだよな。

臼庭潤、永塚博之、本田珠也の3人だった。

そのあとピアノの吉澤はじめが参加してカルテットになってしばらく活動したんだ。

それが母体となった潤のJAZZ ROOTSに繋がって行くんだけどね。

とにかく潤とはよく遊んだな。演奏も自由奔放だった。
やりたいこともいっぱいやった。ピットインの昼とかで。
喧嘩もした。

潤、写真ネットで見つけたよ。
あのアケタのデュオの写真。










録音してるね。島田さん持ってるのかな・・・。聴いてみたい。

いつか世にでたらいいね。潤。

またな。


本田珠也


2014年8月14日木曜日

THIS IS HONDA! 本田竹広 生誕69年 ライブ

今年、もし存命であれば本田竹広は69歳。

8月20日(水曜)桜木町ドルフィーにて恒例になった本田竹広追悼シリーズの一環。
「本田竹広生誕69年ライブ」が行われる。



オヤジは60歳で亡くなったので、(口癖のようにつく言葉だけど)早いものでもう9年になるんだな。あの自室で発見してから。

自分の中では風化させないように努力してきた。

話は変わって、オヤジの事を書こうと思って考えてたんだけど、パッと思いついたのが「風呂」。そう風呂。オヤジはね、風呂が嫌いだったんだ。

何故だか、生前に聞いておけばよかったね。
僕が幼少の頃に家族であの小さ〜い風呂に4人で入った時と、オヤジと兄と3人で三宅島に行った時(その三宅島に行った時は確か、高円寺の阿波踊りのお祭りの時。ネイティヴ・サンが高円寺南口の噴水前の特設ステージで演奏した後に竹橋まで行った記憶がある)に、それも小さ〜い、なんかドラム缶みたいな風呂に入ったのを見た。

たったその2回だよ。2回。
もしかしたら風呂嫌いな人は一生風呂に入らないのかな。

確か僕が12才頃だったと思うんだけど、それから亡くなるまで、一度も風呂に入ったのを目撃したことはなかった。海に入る事はあっても絶対に温泉なんかには浸からなかった。

僕は温泉大好きだけど。

ということで、と、どういうことだか。

つまり8月20日です。水曜日です。

桜木町から日ノ出町駅に向かって、その時左側を歩く。7分14秒くらい歩くと左側に古びた靴屋が見える。おもむろにその信号を直角に左折。
最初の交差点でよそ見して左を見ると美味しい中華屋さん「萬福」が見える。
で、更に18秒くらい歩くと左側の一階に、見るからに如何わしい韓国エステがある。
その横に茶色い古びた階段を21段上がると頂上手前の右側に独房入り口みたいなドアが現れる。そこがドルフィー。

そのドルフィーで「本田竹広生誕69年ライブ」が行われる。

峰厚介(ts)橋本信二(g)板橋文夫(p)米木康志(b)本田珠也(ds)

前売り3500円 当日3800円

開場:18時30分 開演:19:30分

気心知れたメンバーでオヤジをハデに偲びます。

また当日には記念してスペシャルアイテムを用意していますよ!

これ!



              THIS IS HONDA T-Shirts!!!


多くの皆様のお越しをお待ちしております!


珠也







2013年6月25日火曜日

宮古の迎え火

これは以前、mixi か何かに投稿した文でしたが、再度投稿します。
 


迎え火送り火は子供の頃宮古で何回も経験しました。この時期になると町の商店には松の薪がどこでも売っていまして、どことなく町中あの松ヤニの鼻を突く臭いが立ち込めていた思い出があります。家の前の通り沿いにバケツの中に松の薪を燃やし、自分たちの先祖の往来の目印にする訳です。その横でおばあちゃんと一緒に、花火をしたものです。
陸前高田の景勝地、高田松原の残念ながら津波にのまれた松を薪にし、そこへ思い思いの言葉を書き込み、その薪を京都の大文字で燃やす計画が中止になったことが今、話題になっている。苦情なども含めて900件以上の反響が寄せられているが、ここに一つの人間の本質や非情さが現実が現れている。






いくら人々が「僕らは一つ」とか「頑張れ日本」とか、周りから口うるさく聞こえてくるが、現実には被災地を遠くから見ている、対岸の火事なんだということ。完全に被災地と他の地域では温度差があり、殆どが他人に起きている事柄と思っているに違いない。京都しみんを守りためと託けているが、なんのことはないただ自分たちの伝統を保護したいだけなんだ。結局自分が一番大事で、自分の町が一番大事であると断言したわけだ。
でもそれが本来の人間の姿であって、「僕らは一つ」なんて言ってるのが現実的じゃない気がする。

もし自分の大切な人が何かの事態に巻き込まれたとする、自分だったら他人、いや家族も含めて、蹴落としてでも助けようとするのが、本来の姿なんじゃないかな。
終戦後、朝鮮半島に多くの兵隊や民間人が取り残され、またソ連の侵攻(これがまた頭に来るが、日本が敗戦したのにも関わらず、朝鮮にいた日本人を侵略や略奪、おまけに兵隊たちは捕らえられ、抑留される。それでもってそのドサクサに北方領土を侵略するわけだ)により38度線を越えて必死で日本の帰国を目指したけれども、生きる為には非情にも女を差し出し(その為女性はみんな男のように丸刈りにしていた)、その間に逃げる人もいるし、店員オーバーになった船に乗り込もうとして、しかしこれ以上乗り込んできたら船が沈んでしまう、なので乗り込んでくる人間を次々に蹴落とし、蹴落とされた人間は死んでいく。そして蹴落とした人間は生きている
人によってこのような惨癖をどのように解釈するかは個人差があるが、もちろん放射能などの懸念もあるのだろうけど、今一度、簡単な言葉ではなく、一人ひとりが考えるという行動をして欲しい。そしてあまり期待ぶることを言ってしまうことも控えた方がいい。



 
 (この写真は被災した直後の、宮古のcafe the S。この後已む無く盛岡への移転を決意)
 
 

「僕らは一つ」とか「貴方は一人じゃない」とか安易にのたまわると、現実を目の当たりにするとき人間は脆く崩れてしまう。人間の本質を暴くものが一番怖い。そう、人間は本当に非情な生き物であるから。もし「僕らは一つ」と言えるのであれば、被災した人間と共に「死ぬ」覚悟が出来ているかどうかだ。それが出来れば本当の意味で「一つ」になれる。



 

2013年6月17日月曜日

Led Zeppelin そして ZEK3 へ

その昔僕は地元のレコード屋の店主と意気投合して、ゼッペリンのコピーバンドを結成しました。
勿論、僕がもうプロとして活動していました。

名前は「The Knobs」。

1970年にゼップがデンマークにツアー中、フェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵(あの飛行船を開発した人)の子孫だか孫だかが、「ゼッペリンの名前を使うな」と講義した為、その日の公演は「The Knobs」(意味はここでは書けません)という変名で演奏した。という実際の話からとったバンド名です。
まあ、これほどゼップ(いやボンゾかな)に造詣の深いジャズ(とは微塵も感じていないけど)ドラマーも、いないと思います。自画自賛で申し訳ありませんが。嘘ではないと思います。

結構いると思いますが、エルビンを聴いてボンゾを感じる。ボンゾを聴いてエルビンを感じませんが。マッコイのパッションダンスを聴いて、ボンゾを感じ、ジャズも楽しそうだな!
そんな単純な理由でジャズを始めましたが、その気持ちは今も変わらないのは、このエルビン&ボンゾの普遍的な大きさなんでしょう。

オヤジが「ジャズは自由だぞ」と僕にジャズをやるよう促してくれましたが、中々ジャズという特有の音楽に一歩踏み出せなかった僕に背中を押してくれたのが、ボンゾだったのです。
ゼップの有名なブート盤で1971年の初来日の最終日、9月29日の大阪フェスティバルホール(関係ないけど、パープルのインジャパンも大阪フェスティバルホールの録音で、メタリカのドラマー、ラーズがステージに膝まついてキスをしたという逸話がある)の音源があるのですが、後半のMOBY DICKでロバートがボンゾを紹介する際「マックス・ローチ!ジョンボーナム!モビーディック!!!」と叫ぶ。もうこれを聴いた時。間違っていなかったと、確信しました。



Good Times Bad Timesでバスドラの3連アタマ抜きやるのは普通ですが、ショーターのスピークノーイビルで3連のアタマ抜きをやるのは多分、僕かエルビンでしょう。

Immgrant Song であの印象的なバスドラフレーズをやるのは普通でしょうが、それをThere is no greater loveでやってしまうのは、僕だけでしょう。そう感じてしまうのは、ボンゾが常にフラッシュバックしてしまうからなのでしょう。

だからこのバンドが結成されて、演奏するというのは的を得ています。このバンドは僕にとっての一つの完成系です。このバンドを聴くということは、僕のドラムが解かるということです。

前置きが長くなりましたが・・・

いよいよ明日からZEK 3 甲信越~東北ツアー のスタートです。

今回は鹿児島からローディーがやってきます。名前は秋葉さんです。

しかも1982年製のポンコツ車で、高速も使わずひたすら下の道で東京を目指してくる、
とても奇特な方です。その秋葉さん含めZEKの3人。計4人の珍道中が始まります。

皆様、応援のほどよろしくお願い致します。

またお近くの方は是非ライブにお立ち寄り下さい。
絶対にソンはさせません!






6月18日(火)甲府 桜座
http://www.sakuraza.jp/
 6月19日(水)長野 バックドロップ
http://www.back-drop.jp/
 6月21日(金)新潟 ジャズ・フラッシュ
http://flash.pagans.jp/
 6月22日(土)酒田 ラッシュ・ライフ
http://www.gurumesagasu.com/pref/yamagataken/city/sakatashi/sweets/cafe/0234223303_1256/blog/blog.goo.ne.jp/torukin7/e/87351a9e49d1453af05f90fcbfeb057d
 6月23日(日)山形 瑳蔵
http://www.yway.jp/shop/961/
 6月25日(火)宮古 カントリーズ・カフェ
http://r.goope.jp/countriescafe
 6月26日(水)盛岡 BAR CAFE the "S"
http://livecafe385.com/thes/
 6月27日(木)仙台 KABO
http://www.k3.dion.ne.jp/~jazz3792/
 6月28日(金)石巻 大もり屋 3階ホール
http://tabelog.com/miyagi/A0404/A040403/4010970/


 

2013年5月13日月曜日

日野元彦 命日

今日の5月13日はHighest Mountain、Over The Top、大先輩ドラマー、日野元彦の命日である。
1999年。享年53歳。今でも信じがたいが、無念の早すぎる死である。



 


六本木のアルフィーはトコさんの店である。
僕が初めてアルフィーに出演したのは、僕は20才からジャズを演奏し始めたので、たぶん21才とか22才頃。1991年とか92年とかの頃だったと思います。

今でこそ常識だが、大概ドラマーはシンバルとスネアなどは持参するものだけれど、ガキだった僕はスネア(しかもラディックの402!)しか持参せず、シンバルがジャズに大事なパーツという事を知らなかった僕に快く(と思うけど)セビアンのシンバルを貸してくれて、しかも気前がいい時にはシンバルを頂いたりしました。カップの裏にトコさんのサインがあるそのシンバルは、今では僕の宝物の一つとなっている。


その頃ボーヤは井上功一だったかな?藤山がやっと朝のピットインに出始めたころだったな。1987年のジャズイン浄土でトコさんとツインドラムをやった時は藤山がボーヤだった。




トコさん仕事ない時は、必ずアルフィーに来ていました。
演奏が始まると、店の端に席を陣取って、僕らの演奏に耳を傾けます。
ガキだった僕はそれが、プレッシャーに感じ、物凄く緊張していました。
あまりに露骨に緊張するものだから、わざと真前のパチンコ屋(よく負けてた!)によって、僕らの緊張が解け出すセカンドセットぐらいに顔を出す。そんな心遣いもある優しい大先輩でした。


しかし優しいだけじゃなく、的確なアドバイス、叱咤激励、(今風に言えば)ダメだしはしょっちゅうありました。また覇気のない演奏にたいしては、そのミュージシャンに激をとばしたりと、音楽、ドラム、に対して深く考えていた人でした。

オヤジとは、オヤジがまだ学生ぐらいの時から付き合っていたようです。
トコさんは十代前半からショー周りをしていた神童でしたから、その学生あがりの下手糞ピアノによく文句を言ったそうです。
2人が弘田三枝子のバックで一緒になった時があったらしく、その事をトコさんが僕に話してくれましたが、「ホンダは下手でさ、とにかくバッキングがなってなくて、よく怒鳴ったんだよ!ホンダ!ヤメロっ!!!って」

これはオヤジから聞いた話だけれど、弘田三枝子のマネージャーが神童ドラマーのトコさんと、下手学生あがりピアニストのオヤジとの扱いを格差つけていたらしく、ある日電車(勿論、新幹線じゃあないよ)で青森に行くことがあったのだけど、トコさんは指定席、オヤジは自
由席で、しかも混んでいたらしく、青森まで殆ど連結器のところで突っ立ってたそう。それを見かねたマネージャーがオヤジのところにきて、「これで美味しいものでも食べて」と500円を渡されたって。

その後の2人の活動、活躍はご存知の通り。
1990年には本田竹曠のジャズ回帰にトコさんが一役買って、本田名義の「Back On My Finger」という素晴らしいピアノトリオ・アルバムを制作。



僕がトコさんと共演したのが、神田のTUCにて江藤良人と3人で演奏したトコさんのドラムアンサンブル曲、「飛翔」が最後だった記憶があります。江藤と僕は本当にトコさんに可愛がってもらいました(泣)。


トコさんの奥さん容子さんが明かしてくれましたが、病床のトコさんが痛み止めのモルヒネを注入して意識が朦朧としている中、「珠也を呼んで来てくれ」と言ってたよ、と、そっと教えてくれたのがとっても嬉しかったです。





今でも思い出します。

あの甲高い声でこういう言葉が。

「珠也!違う!!!」

トコさん!本当にありがとうございました。

改めてご冥福をお祈りいたします。

珠也

P.S.
そんなトコさんの命日の今日。アルフィーで日野元彦メモリアルライブが行われます。
もちろんメインは、お兄さんの日野皓正さん。
飛翔した御霊に届くような、盛大なライブとなるでしょう!


http://homepage1.nifty.com/live/alfie/


 

2013年5月12日日曜日

本田竹曠 NY滞在記 Vol.1(?)

先日のアケタ出演時に演奏前、アケタのカウンター下に積まれてるジャズ雑誌を漁っていて、多分最新のジャズ批評を手に取りました。
で、それをパラパラ捲っていたらこんな見出しを発見!「JAZZ meets 杉田誠一 Vol.5 本田竹曠」という、杉田さんのコラムを偶然見つけました。


杉田さんは現在白楽に「ビッチェズ・ブリュー」という小さなジャズクラブを営んでいて、定期的にライブも行っていますが、僕は昨年に引き続き今年も竹内直さんの5DAYSに呼ばれまして、直さんとDUOをしました。

記事の内容は、現物をもって確かめて確認して欲しいのですが、僕のオヤジと僕自身をオーバーラップさせた内容となっています。
その昔僕ら家族は西武線沿線の下井草という駅に住んでいましたが、同じくして杉田さんも下井草に住まいがあり、オヤジともよく交流を持っていたようです。


それともう一つ付け加えておくと、1970年にオヤジは(鈴木勲氏と共に)渡米し、NYに2週間強滞在して本場のジャズを吸収していましたが、その時一緒に動向していたのが杉田誠一さんでした。
そのジャズ批評に一枚だけその時の写真が掲載されていたので、杉田さんには無断で申し訳ありません(汗!)が添付します。



僕もこの写真は初めて見たので、ちょっと嬉しくもビックリしました。
オヤジからはこの写真の逸話は聞いていましたが、写真があるとは!
場所はあの有名なジャズクラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」で、エルビンジョーンズクインテットにシットインした決定的瞬間の写真。
これでオヤジが僕に言っていた事は事実だったことが証明されたのでした(笑)。
オヤジによるとこの時はエルビンの他に、フランク・フォスター、ジョージ・コールマン、ウィルバー・リトル、チック・コリアが居たそうです。
曲は1曲だけで「Softry as in a Morning Sunrise」を演奏したと言っていました。しかも通常演奏される曲のKEYはCマイナーなのですが、その時エルビンは「Bマイナーだ!」と言ってBマイナーで演奏したんだ!って言ってた。


他にオヤジから聞いたNYの逸話は、スラッグスでリー・モーガンやブッカー・アービンを聴いたり、アートブレイキーの運転する車でハーレムを周回してもらったり、その時あるクラブに立ち寄ったらそこでフィリージョージョーンズが練習していたらしいのだが、フィリーは以前日本で「事件」を起こしており、その事を根に持ってるフィリーはオヤジの事を見てすぐさま「ジャップ!帰れ!」と罵られたそうです。

ソウホウの辺りではアーティストハウスが沢山あったそうで、そこでチック・コリアにピアノレッスンを受けに行ったとも語ってました。
だけど「チックの奴、ピアノを弾かないでドラムばかり叩きやがって!俺がアイツのドラムの伴奏してやったんだ!」なんて言ってな(笑)
でその後、ニューポートジャズフェスに出演する為にNYに来ていた渡辺貞夫グループに急遽参加して、演奏する訳です。

なんてオヤジが言ってた事を思い出しながら、そのジャズ批評を読んでいました。
どうぞ皆さんも手にとってその文を読んでください。


あっ、最後にこんな文があった。
「何故か。殆ど最後の無頼、松田優作に、珠也のドラムって同類項が、あるように思えてならない。そうそう、優作といえば、下井草駅前の西友でしばしば見かけたもの。」


なんだか無性に嬉しいぜ!


珠也